【ラムネの日】戦艦大和に製造室もあったラムネを再現、特産品に認定(産経) [夜のけいちゃん★]
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2021.5.3 08:00
5月4日は「ラムネの日」。ラムネは戦時中に旧海軍にも愛され、戦艦「大和(やまと)」でも作られていたとみられている。そんな当時の味を再現しようと試みたのが、大和を建造した場所で日本を代表する軍港があった広島県呉市にある食料品製造販売「中元本店」。同社によると、初代社長が旧海軍にラムネの製法を伝授していたというから、再現力は本物だ。当時を再現したその「大和ラムネ」は今年4月、広島市が優れた地元の特産品を全国にPRする「ザ・広島ブランド」に認定された。
◆戦艦の消火設備を転用
「大和ラムネ」を製造する中元本店は大正14(1925)年創業。当時からラムネを作ってきたといい、地元で長年親しまれてきた。夏祭りや盆踊り大会の人気メニューで、中元順一朗社長(48)は「大会が終わると、父や工場長が夜の街のあちこちに捨てられたラムネの瓶を探しに歩き回っていたと聞いています」と話す。
そして、このラムネの製法を旧海軍に伝えたとされるのが、初代社長で中元社長の曽祖父、庸(いさお)さん(故人)。同社によると、昭和16年に世界最大の戦艦として竣工された大和はもちろん、旧海軍の大きな戦艦にはラムネ製造室が備わっていたという。艦内に消火設備として二酸化炭素の発生装置が設置されており、これを転用することでラムネを製造できたという。
長文につき、後はソースで
https://www.sankei.com/smp/premium/news/210503/prm2105030003-s1.html ONEPIECEのフランキーのエネルギー源の元ネタ 美味い配分を研究した記録を押収されたり、GHQに製造の禁止を通達されたりしなかったのか。 よかった 戦艦って2000人くらい乗ってるんだろ?
工場で行ったら大規模だ
任期中名前も知らなきゃ話た事もない人っていただろうな
つか女いないのによく耐えられるな この手の再現ものは良いな
海軍ビールとかいいつつ全然関係ないのとかがっかりする 相原「このラムネはどうやって作ってるんですかね」
真田「知らないほうが幸せだと思うよ」 アメリカの空母もソフトクリーム製造機が必須設備なんだろ。 ラムネ作るしか脳がない無能戦艦
日本らしい作品だな
んで最後はバカみたいに特攻特攻で全く仕事せずに撃沈w
そんなもん食ってたら運気が下がるぞwww >>12
オマエラが不法に住みついたエリアの方が明らかに汚いが? いい加減第二次世界大戦忘れませんか?
私の伯父は戦艦武蔵と共に沈みました。
このような悲しい出来事は忘れるべきです。 艦内は水が貴重なので洗面器一杯で洗顔、歯磨き、体を拭くまでしないといけなかったらしいから無駄な機械やな 旧海軍の艦内製造ラムネは真水と同じく機関室で製造していたから機関科の人間なら飲み放題だったことだろうな。機関室では無いけれど、艦内でもやしとかも栽培していたそうだ。 >>27
食事と一緒で嗜好品がないと士気にかかわる。 原材料を見てちょっとがっかり
砂糖は使わず果糖ぶどう糖液糖だ
再現というのは風味のイメージってことなんだろうな
土産・特産品向けなら原料製法を再現してほしい 艦これのおかげで有名になれたんだしその辺言及してもよかったのでは >>1
ビンも装丁も美しい
さわやかな感覚になりました✨ >>20
アイスクリームやコカコーラ満載のアメリカの艦艇はどうなるんだよ… >>12
チョン公があちこちで瓶を割るから掃除が大変だったわ 二酸化炭素事故を起こした新宿の駐車場でもラムネ製造しようぜ >>12
むしろゴミはゴミ箱と言う概念は現代になってからようやく根付いた習慣だ。昔は今みたいにゴミが自然分解されないゴミなど少なかったし。あとは海外ではゴミはゴミ拾いの仕事をしている人が片付けるものだと言う意識もあったりする。特にヨーロッパ。 >>25
伯父さんが軍人て
書き込んでるご本人もなかなかのご長寿やな >>20
ラムネって飲み物の方なんだけど?
まさか粒のラムネだと思ってんの?ww 広島から呉までの黄色電車は海と山のスキマ走ってる感が印象的だった >>35
瓶って再利用でしょ?
割ってたら怒られるのでは? >>11
ウホッと解消したらやはり懲罰ものだったんだろうな >>1
ラムネ大好き
レモネードもサイダーも美味いよね >>12
日本の何十年前の民度と同じ民度の現代の蛮族 これはおそらく海軍を倒したあとに陸軍が出てくるに違いない!
あの海賊王漫画の…前に出した終了予告を覆すステマ!
陸王に、俺は乗る! アイスクリームはヤンキーの魂だからな昭和の時代ソ連は座間の米陸極東総司令より神奈川区の米軍属用アイスクリーム工場を先に攻撃する言われてた 探偵ナイトスクープで戦艦大和の設計図(?)らしきものがあるから本物か調べてほしい、と依頼があり
探偵が見ると、ラムネ工場があったりタバコ作ってたり、戦艦の中でこんなの作るか?となった
詳しいおじいさんに見てもらうと本物で「高く買ってもらいなさい」とアドバイスもらって、
ちょうど呉に出来つつあった大和ミュージアムの関係者が知って、展示の目玉にしたいと興奮していた 米兵は日本兵の所持していたクジラの缶詰とかを食べていたらしいな >>55
兵隊さんには嗜好品必要なんですよ
大抵の軍隊でなんらかのもの与えてますよ N501Y変異株の爆発的な増加を知ってほしいという話
http://ccuua.ulnammo.ru/KaNY/144197662.html
hgjkhghjkgjkgjhgjhghjg >>20
全ては石油欲しさで始まった戦争
石油がなかったから沈んだ >>11
「海軍飯炊き物語」によると霧島クラスでも持ち場以外は殆どが知らなかったそうだ 艦内に消火設備として二酸化炭素の発生装置が設置されており、
これって本来の目的としてはちゃんと機能したのかな? >>20
ラムネを知らない令和生まれのガキンチョかな? >>38
俺の父親が9人兄弟の末っ子、伯父が長男。
兄弟で戦争行ったのは伯父1人
俺、遅い子どもなのよ・・・・ 米軍の射撃レーダーの精度は初弾から命中させてくるほどで大和とアイオワがタイマン張ったら
大和が命中弾を得る前に一方的にボコボコにされただろうね
大和型戦艦一番艦は魚雷10発、二番艦は20発近く被雷するまで
浮いていました。米戦艦は大体魚雷1−3発、航海中の英戦艦は5ー6発
で沈んだこととを考えれば、大和型戦艦の防御力は特筆もの。
二酸化炭素の消化装置もその1つとして貢献したのでしょう。
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★撃沈した米戦艦の被弾数★ ttps://www.weblio.jp/wkpja/content/真珠湾攻撃_損害
<撃沈>
アリゾナ→800kg爆弾x4+魚雷0-2
オクラホマ→魚雷5-9 ※最初の着弾から8分で転覆
ウェストバージニア→800kgx2+魚雷x7
カリフォルニア→800kgx1+250kgx1+魚雷2-3
ネバダ→250kgx6+魚雷1-2
<大破>
テネシー→800kgx2
メリーランド→800kgx1+250kgx1
ペンシルベニア→250kgx1
★撃沈した英戦艦の被弾数★ <マレー沖海戦(1941.12.10)> ※一式陸上攻撃機による
レパルス(repulse3.8万屯)_______→撃沈(爆弾x1+魚雷5-6本)
POW(prince of wales4.4万屯) →撃沈(爆弾x1+魚雷6本) ※1941年就役の最新艦 >>64
令和ってまだ三年めだぞ?
昭和の老害ボケすぎだろ 陸軍はラムネやアイスクリームなぞ敵国嗜好品でケシカランってしてたの? 呉の海軍カレー食いてえ。
1日2食何日かかけて名だたる店を回りたい。
コロナが収まったらgo toで。 >>69
じゃあレーションでチョコレート食ってたアメリカなんか、戦争で勝てるはずがないな >>77
ギブミーチョコレート餌付け世代の妄想だな 乗りものニュースの下の記事面白いよ。
間宮羊かんを確保せよ! 旧海軍将兵が大歓喜した特務艦「間宮」 その表と裏の顔とは? ラムネとかぶっちゃけ戦争するのになくてもいいわけだろ?
さすがに日本軍にそんな余裕ないだろ 関東と関西人は呉に来ないでね。感染者ほとんど出ない町だから。 >>53
ラムネはレモネードの発音なまり。レモン風味。
サイダーはシードルの発音なまり。アップル風味。
という差別化が元はあった。
両方レモン風味になった時点で読み方の違いでしかなくなった。 鼻水すすってラムネ飲んで、気合いを入れて戦ってた日本
その時、アメリカでは牛肉豚肉もたんまり食べて
天然果汁やコーラなど各種ジュースも飲み放題だったのだろう >>87
イギリスのハイラム・コッドさんというらしい >>68
ないない
アイオワ型はパナマックスを守ったせいで船体が細長すぎて安定性と剛性が低く、主砲の散布界はひどいもんだった
レーダーの照準が正確で初弾から夾叉できたとしても、まとめて何発も当たる可能性は低い
大和型ならいい勝負になっただろうけど、一方的にボコボコはないな 第三艦橋がしょっちゅう被弾するから
消火用CO2を山ほど積んでいてラムネ飲み放題 >>64
令和生まれの奴って、話が通じない奴が多いよな こどもの頃、図鑑で見た船の解説に「そうだしつ」
って書いてたので
「ソーダ水を作ってるんだね」
と誤解してたが、
あながち間違いでもなかったんだな。 >>88
シードルってフランス語発音とかなのかな
イングランド行ったらサイダーって皆んな言ってたけど 単なる炭酸水じゃなくて今の甘いラムネと同じなのかな 当時は砂糖だって貴重品だったから
ラムネと言いながらただの炭酸水だったんじゃないの? 水兵の重要な楽しみの一つだろ
食事と100回見てセリフ全部覚えた映画、そしてラムネ >>11
三百人規模の工場でも隣の部署はよく知らんわ >>53
サイダーはシードルがなまったもの。原料はリンゴ果汁で発酵に伴って微発泡になる
ラムネの語源はレモネード。原料はレモン果汁で元々は炭酸無し
日本じゃどちらも風味付けした甘い炭酸水だから、差が分からないけど >>21
死んだ祖父が終戦を呉で迎えたと聞いてどんな所か行ってみたいだけ >>11
大和は3000人だったかな
でも、水兵の寝るところは三段ベッドだからな ( ゚∀゚)
( ∩ミ ほーら、波動砲だよ
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し ⌒J 戦艦大和を再現したホテルとかないのかね?
クルーザーとかなら割とあるけど。 >>34
アメリカの艦艇はちゃんと戦果あげてるしな
大和はなんか役に立ったことあるか?
ご自慢の主砲で船の1隻でも沈めたか? 軍艦乗りの最期は一蓮托生だから、ある意味で幸せかもなw
漏れの祖父は陸軍に召されたから、同期の大半が戦死餓死病死した中で生き残って復員し、帰国後に精神を病んでアル中になったらしいw
毎晩寝る度に、ビルマ戦線で散っていった同期たちが、日替わりで死ぬシーンをリプレイしてくれたからだとかw >>111
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 吉村昭「戦艦武蔵」で読んだような気がする
阿川弘之「軍艦長門の生涯」だったかも >>55
泥水を啜り草を食んで戦え、とでも?
嗜好品は士気の維持に必要不可欠やぞ 大和というと片道燃料とか悲壮感を以って語られることが多いけど最後は艦内風紀がそうとう乱れていたらしい
死にゃあいいんだろ死にゃあ、とばかりに
「恋人」の奪い合いで暴力沙汰もしょっちゅうだったとか >>98
ああフランスのだったわ。リンゴ果汁を発酵させて作る醸造酒。アップルブランデーの元だと >>115
アイオワはご自慢の主砲レーダー射撃で敵艦を何隻沈めたの? >>117
今で言うPTSD、フラッシュバックだな。こちらの母方の祖父も陸軍で中国に行ったらしい
その頃の話は聞いたことはないけど >>121
伝聞っぽく書いてるけど、情報源はどこ? 大和とか武蔵って設備の豪華さばかりが過ぎて実戦では大して貢献してなかったんだっけ。。w
まあでもいいよなあ、一流の料理人とか雇って船内で飯作ってたんだろ? >>128
大和ホテルに武蔵旅館
武蔵は客船の建造実績があった三菱長崎で作ったからね
>>129
そもそも戦略兵器であり、国の威信をも背負ったのが当時の戦艦
内装まで気を遣うのも不思議じゃないし、乗員の生活にも資すること
あと船内で飯作るのは当たり前だし、いい飯食ってたのは将校限定(但し自腹) 武蔵の設備がいいのは旗艦用の設備だけで、メシが豪華なのは将官や自分でカネを払う士官だけ
おまえら兵隊はどこでも同じ。むしろ戦艦は厳しくてやべぇってめしたき物語で高橋孟さんが
書いてた いまの子らには宇宙戦艦のほうが受けが良いんじゃないか
江田島土産買ってきて喜んでるのは棺桶に片足突っ込んでるような者しかいない ワッハッハッ、ヤマトのラムネを再現?こりゃ面白い
製造室も海の底で、奴ら無念でしょうなぁ総統…
ワッハッハッハッ、ワーハッハッハッハッ! >>131
それでも当時の日本人の生活水準を考えると3食白米は贅沢だってそうだ。酒保で甘味も買えるし。 >>78
慌ただしく観光じゃなくて、
のんびり逗留してメシ食うのいいよね
俺は佐世保か横須賀で数日かけてハンバーガー食べ比べしたい >>54
詳しい人に行く前に骨董品屋に行って店のジジイに
「戦艦の設計図がこんなしょぼい(少ない)はずがない、偽物に決まってる」っていわれて、半分門前払い食らうんだよな >>85
米軍がその辺りすごく気を遣ってる、と言えば大切さが理解できるかな? 海軍はラムネっていうよりサイダーのイメージ。
搭乗員の手記で弁当食うシーンなんかにによく出てくるね。
上空だと程良く冷えてて美味いんだっけ。
ウルシー特攻に向かう銀河の搭乗員と、誘導機の二式大艇の搭乗員と風防越しにサイダーで乾杯するシーンが泣ける。 >>85
ご褒美くらいは設けないとな
こういうところに旧海軍の強さが滲み出てる >>140
あーそれ思い出したw
探偵誰だったか思い出せないや
かなり前だから北野誠かな? >>130
戦略兵器だったのは弩級戦艦の時代で、大和建造当時は既に
魚雷の発達で潜水艦や駆逐艦の雷撃から逃げ回る時代だった
なのに日本軍は無駄な巨砲を搭載した戦艦を造ってしまった 城が落城する際は城主も共に自決するみたいな精神なのが
海軍の各艦長にあったのか敗因の一つだよね >>85
糖分が不足すると喉が渇きやすくなるので
それを防ぐ意味合いがあった >>148
死ぬのが答えみたいなのは内戦でやるべきことで、国際戦のときは死んだら負けだよな
配線を糧とする教育しないとな >>11
今でも大型の護衛艦とか他部署の人なんて顔も知らないとか良くある話らしいよ >>150
上層部が戦略作戦戦術を立てた通りに戦い
それで沈みゆく艦と運命を共にしなきゃならないとか超絶ブラックだわ あの時点で戦艦を作る計画をしたこと自体はまあ過渡期だからしゃあないかなと思うけど
もうちょっと小さいので良かったんじゃないのとは思うな >>153
作戦の適・不適はあれど、上層部の命令に従わない軍隊なんて有り得ないんですけど… 形は護衛艦でも空母でもいいから早く大和や武蔵を造れ! 何一つ戦果をあげなかった無能戦艦の癖にやたら美化されるよな >>154
超強力な長門でしかないからな。新しい何かができるモンじゃない。 >>159
https://zenkyoto68.tripod.com/watanabekiyosi01.htm
歯をくいしばって振っている顔は、すでに死相をうかせて土色だった。
見ると、腹わたをひきずっているのだった。
腹わたは血につかって彼の足元にもつれた縄のようにひろがっていた。
うす桃色の、妙に水っぽいてらてらした色だった。
少年兵は途方にくれながら、わなわなふるえる両手でそれをかきよせ、もう一度それをさけた下腹の中へ一生懸命押しこめようとしていたのだ。そうすれば、またもと通りになると思ってでもいるように・・・・・・。」(197頁)
「砕かれた頭蓋骨、どろどろの脳液、吹っとんだ首、縄のようにもつれた腹わた、ちぎれた手足、そして床一面の血だ。血は折り重なった死骸の下をあらいながら、入り口のへしゃげた防水扉の隙間から通路がわへぴたぴたと流れ出た。天井やまわりの壁もはねた血でずっくり濡れ、ところどころ肉片が平たくはりついていて、そこからも血の滴りが雨だれのように垂れていた。」(160-161頁)渡辺清『戦艦武蔵の最期』朝日新聞社(1982年)http://esashib.com/poor01.htm >>154
潜水空母で米本土に行けてたら別の結末はあった気がする。 大和も武蔵も司令部機能持ってて、艦隊司令と参謀部も乗るから、そういう人達は冷房付きのホテルみたいな部屋だろうな
ちなみに武蔵は司令部機能拡張してて、建造費は大和より駆逐艦1隻分余分にかかったそうだ >>148 >>153
といっても兵隊から見れば艦長だって超絶上層部だからな。若い兵隊はバカスカ死んでる
んだから、偉い奴が責任とるのは当たり前じゃね。それも税金で作ったお高い艦船を
喪失するんだから
死んで責任はともかくなんらかの形で責任はとらないとダメだろ >>154
もう少し小さくてよかった、ってのもその後の展開を知ってるから言える後出しの論評だと思うけどね
大和型は実は46cm砲搭載艦としてはえらくコンパクトな出来で、驚くべきはその大きさではなく小ささw なんだっけ、二酸化炭素積んでるからそれでついでにみたいなあれだっけ?
あ、消火用か
【問】 日本海軍だけが時代遅れの戦艦を建造したの?
【答】 そんなことはありません。日本が大戦中就役した戦艦は大和武蔵の2艦のみです。
米海軍は8隻もの戦艦を就役させていました
−−−−−−
★米海軍:年別就役艦艇:戦艦★
1942 4隻:サウスダコタ、インディアナ、マサチューセッツ、アラバマ
1943 2隻:アイオワ、ニュージャージー
1944 2隻:ウイスコンシン、ミズーリー
1945 0隻
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_ship_commissionings_in_1943 >>142
ラムネとサイダーって基本的に一緒じゃね? >>168
元ネタはそれぞれレモネードとシードルだけどな >>161
伊400が初期に行って製油所だか爆撃してなかったか >>1
最高軍事機器に何でもいいから製造機器を埋め込む伝統は大鉄人17も継承する伝統w
これだけ「ものづくり」が好きな国民性だとものづくりの敗北を理解できないのも当然かw ラムネですみませんが、アメリカ軍はアイスクリームを持ってた記憶が、 >>110
大戦末期の対空機銃マシマシの頃は機銃分隊の人員が増えて計3300人乗ってたので
ハンモックで寝る水兵も結構居た ガタルカナルでは海軍はオーケストラ付きの食事をしていた。
陸軍兵士は餓死専門
せめてラムネでもわたせばいいのにね >>148
旧海軍の艦艇勤務者規則みたいなマニュアルには
「艦長は御真影の移乗、機密書類の処分、乗員の退去を完了させてから退艦すること」とは書かれているが
「責任を取り艦と運命を共にせよ」とは書かれていなかった
(乗艦が撃沈されたが脱出し、その後別の艦の艦長を拝命した人間も結構いる)
だがミッドウェー海戦で生き残った赤城の青木艦長やソロモン海戦で生き残った比叡の西田艦長が予備役送りになったのを見た他の艦長たちは
「生き残っても冷や飯食いの立場になるくらいなら」と艦と運命を共にするのが半ば暗黙の了解となってしまった
(西田艦長は山本五十六と仲が良かったため、反山本派の嶋田があてつけで懲罰的人事に処したのではないかと言われている)
山本はこの風潮を「ベテランの艦長をポイポイ使い捨ててたら勝てる戦も勝てない」と懸念を示していたと言われている 大和ラムネ2本セット(200ml×2本)[中元本店]
価格: 432円 (税込)
高いわ。 >>143
そんなこと言ってるから辻に罵倒されるんだぞ >>157
大和の場合は戦果の有無よりも大日本帝国の象徴みたいな艦だからな
国家の威信を掛けて持てる技術、予算をつぎ込んで建造するも、活躍の機会が殆どないまま生き残り
本土決戦、1億特攻の魁、帝国海軍のメンツの為に絶望的な戦いに投入され壮烈な最期を遂げる
作家の立花隆が20年ほど前に放送されていた戦艦大和の探索特番で「大和の生涯は昭和の平家物語」と評していたが
日本人が好きな滅びの美学、諸行無常を表してるから未だに人気があるんじゃないかと思う
【問】艦長が艦と運命を供にするのは日本海軍だけなの?
【答】いいえ。これはもともと英国海軍の伝統です。
艦では艦長が全ての権限もち、兵隊を銃殺することもできます。
それだけに責任感を持たせるためでしょう
−−−−
『戦艦比叡』(光人社NF文庫/吉田俊雄元比叡士官)
・プリンスオブウェールズ艦長リーチ大佐は沈没の時
艦と運命を共にした。大声で「さようなら、ありがとう」と叫んだ。 >>182
赤城や比叡の前から、加賀、蒼龍、飛龍艦長は亡くなってるだろ
演習中に艦をぶつけて自決した人もいるし
その時、五十六はなんて言ったよ
>>154 >>165
その辺が日本人らしいセコさ。どうせ作るんだからもう少し長く、出力も大きくしてれば
33ノットだせてアメリカより前に機動部隊に大型戦艦が随伴できたのに
まぁやらなかっただろうけど、セコいから。で、あの結末
大和は46センチの戦艦なのに小さいとか、それをいまだに自慢するところが日本人は
変わってない証拠 戦艦大和を作った呉の呉駅の構内放送?
電車の発着時には、宇宙戦艦ヤマトのテーマ
で、ヤマトミュージアムてのがあって実際に
使われてた潜水艦も場外に展示されてる
イージス艦も呉にいるね 港で凄い望遠レンズ
で撮影してる人も結構見かける 他国のスパイ
もそこらへんにいるかもねw ラムネっていうと一にも二にも錠剤お菓子のことだよな
元ネタがあったと知ったときは驚いた 何の役にも立たなかった戦艦とか恥ずかしくね?
米軍の的になるために生まれた船 ビー玉が入ってるのがラムネ
入ってないのがサイダー
ラムネはビー玉で飲みにくい >>188
加賀、蒼龍、飛龍の艦長が亡くなったののと赤城の艦長が生き残ったのは同じミッドウェー海戦だろ
その時1人だけ生き残った赤城の艦長が予備役送りになったからってことだよ
>演習中に艦をぶつけて自決した人もいるし
美保関沖の衝突事故の時の神通艦長だろ?
この時山本は「艦長として天晴」と評したがこれは平時でのことで
戦時になったらまた考えが変わったんじゃないの? >>192
陸軍の辻参謀たちがガ島の戦闘について海軍と協議するためにトラック泊地の大和を訪問
海軍側は士官用として通常の食事を出したところ、陸軍側は「ガ島で空腹のまま戦っている将兵に申し訳ない」と普通の食事に変えてくれるように求めたら
「これは普通の士官用の食事です」と言われて面食らったって話と、GF旗艦だった大和には軍楽隊が乗っていて
食事の時は演奏を披露していたって話が混ざってるんちゃうか? >>93
第三艦橋は海中に有るのにそんなに被弾するのか。 >>198
辻が食ったのは山本が用意させた特別メニューだぞ >>27
長期間に渡る航海中だと真水は腐る
だから炭酸水にしてる
ちゃんと必要性のあることだよ 海上では曜日を忘れがちなので日曜には食後にラムネを云々 夏場や南洋での演習の時は酒保開けの号令が掛かると将兵が酒保に殺到
ラムネを4〜5本まとめ買いして一気飲みするのが唯一の楽しみだったという >>12
昔飛行機からコーラの空き瓶を捨てる輩が居たらしい
地上では地獄絵図が繰り広げられたそうな
川´・ω・) >>197
あっぱれとは言ってないだろうに
責任をとって死ぬのが武士道、だから人もついてくるっていうのは真理
指揮官先頭。そもそもその山本五十六が最前線で死んでるんだから
艦長死ぬなとかいいながら、赤城艦長を守れず自らも死地に赴いて
死んでる。艦長はともかく司令長官があんな死に方するのはどうかと思うが
>>196
本で読んだ話を得意気にスしなくていいですよ
どこぞの国の人ならともかく、日本人ならね 大和って当時は誰も知らず長門の方が有名だったんだってな
じいさんからきいたわ >>174
>>176
さらに1942年2月24日に「伊号第一七潜水艦」(以下「伊17」とする)によりカリフォルニア州サンタバーバラのエルウッド石油製油所への砲撃作戦を行い、何の反撃も受けないままに同製油所の設備に被害を出すことに成功し、アメリカ本土への日本軍の上陸を警戒していたアメリカ政府に大きな動揺を与えた。
全く違ったわ >>191
ラムネを飲み物と認識するのはスレに書き込んでる大半の老人。
ぶどう糖固めたタブレットと認識するのは若い人だなw
もちろん俺は前者w >>134
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ >>205
少なくとも某作家のリサーチではそうなってる >>214
大和と武蔵は建造中から軍機だった上に完成した頃には対米戦争待ったなしで南部仏印進駐で太平洋方面の緊張は高まっていたから一般に向けては尚更公表はされていなかっただろう。 >>188
大和の竣工当初、つまり昭和17年くらいまでは戦艦があくまで艦隊の主力と言う思考が軍令部でも連合艦隊上層部でも抜けてなかったのよ。まぁ確かに金剛とか空母の直衛に入ってはいるんだけど、それでも戦艦が主力、空母は前衛と言う思考が支配的だった。だから大和の速力が低いのは特に問題とはされていなかった。それと正規空母でも加賀とかは速力も遅いし、もうちょい格下の空母や軽空母なら大和よりも速力の遅い艦も珍しくなかった。まぁ、そう言った空母艦隊の直衛艦として大和を使おうとする思考は最後まで無かったみたいだけどね。あくまで主力艦として扱っていたかな。 >>221
最近死亡事故で話題になった二酸化炭素濃度消火設備。
あれがラムネの原料だから。
設備の動作確認の副産物でラムネを製造してる。
逆に言えば、ラムネを製造している限りは消火設備が正常。 >>213
え、君は本を読まずに何読んで書いてんの?
あ、wikiか(大爆笑 >>101
捕虜虐待したのは朝鮮半島出身の志願兵ばっかり
だったからな。 >>123
日本の降伏文書調印という大仕事やってるよ 船自体が馬鹿なのでは無い、運用した奴らが馬鹿なんだよ。
判ったか? 大馬鹿君w >>221
>>225
士気の維持には、娯楽や嗜好品も必要なんだわ
米軍はアイスクリーム製造機を使ったりしてた >>103
砂糖は軍に優先的に回されていた
間宮の羊羹は虎屋よりでかいと評判だったらしい ユニコーンガンダムのプラモ買おうと思てるけれど
白い悪魔て呼ばれるだけはあるんやなと思た。 >>228
アメリカ軍パイロットがファミリーサイズのアイス(業務用の缶詰みたいな缶に入っている)を抱えて食ってる写真に
「南方の哨戒任務から帰ったパイロットには最高のご馳走」みたいなキャプションが付いてる写真があったな >>188
そのアホな理屈じゃ
アイオワ、金剛以外の世界のすべての戦艦が失格だよなw >>231
アメリカ人は一般人でもファミリーサイズのアイスを平らげる人は珍しくないから、軍人なら余裕で平らげるんだろうな。 >>227
後出しジャンケンで意味不明な人格批判してるお前が
いちばん〇〇だけどなw >>214
大和、武蔵、零戦
国民に公表されたのは戦後 >>235
零戦は戦時中の昭和19年末に朝日新聞にて公表されている。それも「新鋭機」としてw うちの爺ちゃんが霧島乗ってたけど戦争の話は聞くなって親に言われてたからなんも聞いてない
少しくらい聞いときゃ良かった これだけの人員に行き渡るようにラムネ作るのも大変だろうに 大和も武蔵も有効利用出来んかったアホ海軍wwwww >>238
ウチのばーちゃんは横須賀近くに住んでたんで
横須賀に空襲に来たB29が低空飛行して胴体がキラキラしてたとか
燃えて海に落ちていく飛行機見たとか体験談聞いた。
終戦時5歳ぐらいだったらしいが今でも覚えてるってすごい体験だったんだろうな >>238
うちも原爆落としたB29見たとか机の下にもぐってて無事だったとか色々な話があったな >>1
>大和(やまと)」でも作られていたとみられている
みられているとか
そこま無責任な発言をしたいのかよ
この馬鹿はwww >>241
B-29は高高度をキラキラ輝きながら飛んできてメッチャきれいだった
日本軍の高射砲が迎え撃つけど弾幕は遙か下で全然当たらないので
子供でも「こりゃ負けるんじゃね?」と内心思った
当時小中学生だった祖父母、大叔父はこんなこと言ってたな >>226
そりゃ大手柄だな
お前がやったのか?w >>16
ハルゼーちゃん🍦順番抜かししたら、いけんよ >>241
おふくろもテレビでB29の映像出た時顔背けてた >>247
親も同じような事言ってた
それに憎たらしいが追加で。 米軍はコカコーラの社員を派遣してコーラを供給してたんだっけ? >>226
「降伏文書調印」なんて名前の軍艦、アイオワに撃沈されてたっけ?w >>252
P-51の機銃掃射を喰らった大叔父は「パイロットが風防を開けて笑ってるのが見えてコンチクショウと思った」と言ってたよ
橋の下に逃げ込んで隠れたら、橋の周りを飛びながら「ウェイウェーイw」みたいな感じでこっちを見てきたと >>255
名古屋親戚は、
民間人ヘグラマンやら機銃掃射してたって聞いたわ
わざわざ壁ヘ追い込んで機銃掃射。
バタバタ人が倒れていったとか。
顔見える位近いんで
パイロットニタニタ笑っていたとか。
白人は怖いね。 >>68
アイオワ級戦艦の実戦で実績
・1944年2月のトラック空襲後の掃討戦で、練習巡洋艦「香取」に対して戦艦アイオワが距離1万3千mで
前部主砲6門を用いて射撃開始、8斉射46発を撃って初回から夾叉したが命中ゼロ。
発射速度も6分で8斉射なので、カタログ通りの30秒の発射速度を実現できず。
・直後にニュージャージーとアイオワが駆逐艦「野分」に対して2万9千mあたりから計58発を
撃ったが命中ゼロ。野分は弾片による戦死1名が出ただけで無事に脱出する。
この砲撃を指揮した第七戦艦戦隊司令のコメント「目標の識別と、撃沈したがどうかを別とすれば砲撃は完ぺきだった」 >>68
なんかそんな大嘘書いてて虚しくならないか?w
当時のレーダーは距離はかなり正確にわかったけど方位は分解能が悪くて
目安にしかならなかった
アイオワ級は揺れが激しくて割と欠陥艦の扱いだったけどな 海軍はラムネにカレーよ(肉じゃが)
陸助とは違うわ >>68
「大和」と「アイオワ」が真昼に2万メートルの距離で1対1で戦うとどっちが勝つ可能性が高いのか?
・主砲貫徹力:大和有利(運動エネルギーで1.25倍)
・発射弾数 :アイオワ有利(1.33倍。しかし照準修正を考慮すると問題にならない)
・射撃精度 :昼間なら大同小異
・耐弾防御 :大和有利(特に水平装甲と機関部)
・予備浮力 :大和有利(推定2倍)
・復元力 :大和有利
・ダメコン :耐砲弾なら顕著な差なし
・速 力 :逃げるのでなければ無関係
で,大和が圧倒的に有利(特に防御力)。
砲弾威力と防御力から,16in砲弾が大和に命中しても致命傷にはなりにくく、
一方46cm砲弾がアイオワに命中すれば致命傷となる確率が高い。
主砲口径と排水量の差がかなりストレートに反映される展開になる
トラック沖の海戦においてアイオワは120発主砲射撃で命中なしと結果が出ている
目標は鹿島型で機動力でも圧倒していたはずだが結局高角砲で撃沈した。
30ノット超えれば主砲1基撃てないとか欠陥だらけのアイオワ級は大和に勝てる要素がない >>238
16インチ砲弾を9発も食らって沈没したみたいだな
悲惨な経験をした人は、思い出すのも辛いもの ラムネは知らんけど
呉の酒の千福は売り方かえるだけで
日本メジャーになれそうなのに頭悪いよなーとは思う ただ乗る分には気分良かったろうな
幹部とかデスラーみたいな気分だったろう >>261
16インチ砲で艦砲射撃もしてるな
テレビで主砲射撃管制コンピュータが出てたけど、戦時中のものを使い続けてた >>256
大戦末期になると工場や造船所はあら方ふっ飛ばしたので
暇つぶしで機銃掃射や爆弾の投棄をやってたって言うからな
>>262
霧島の通信兵だった人の体験談を漫画化した同人誌を読んだことがあるが
敵弾が通信室に飛び込んできて、たまたま敵弾が飛んできたのと反対側に居た体験者の人と数名以外はほぼ即死
海戦が終わって上甲板に集合すると体験者含め負傷者多数。そうこうしているうちに船体がひっくり返って沈没
救助の駆逐艦が来たけど途中で作業を切り上げて動き出したので、なんとかロープに掴まって生還って話だったわ
霧島が海底に着底した時はズンッ!と言う音や衝撃が海面に漂う乗員のところまで届いたんだとか >>258
?と一瞬思ったけど
そうか、距離は時間だけど方位はクリンクリン回ってるやつだもんね
なるほど >>68
アイオワは、レーダー照準によって大和より命中率で優位に立てるという一種の神話に近いものが
あるが、巷で言われる程光学照準に対して絶対的優位にあった訳でもない
米戦艦が主に使用していた射撃用レーダーはMk3とMk8だが、これらは調整が難しく故障が頻発する代物で、
目標と弾着の水柱を識別出来ない事も多く、信頼に足り得るという公式評価が下されたのはMk13になってから
(アイオワ級がMk13を装備したのは大戦後)
例としてアイオワはトラック沖とサンベルナルジノ海峡で野分に対して砲撃を行っているが、
前者では53発発射して命中弾0。後者では撃沈するまで30分以上掛かっている
またアイオワは幅33mという細さが災いして、船体の安定性が悪く、巨砲のプラットホームとしては不十分であった
これらから考えると、共に命中率の優劣は特に無い 戦艦大和海上移動式ホテルね、いろいろ完備してたんだね・・・ 今も残る機銃掃射の跡が生々しい
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E6%97%A5%E7%AB%8B%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E5%B7%A5%E5%A0%B4%E5%A4%89%E9%9B%BB%E6%89%80 原発にもマックとかいきなりとかイオンモールがあってもいいじゃないか●
どうせ、手足足首首乳首どろか影かもしれないんだかさ〜 >>272
どうせ東条英機が猛反対するからチハ以上の戦車は造れなかったよ
しかも戦場が戦前の予想に反して島嶼部で戦車を運べない 世界のホテル艦
現役最大 仏空母「シャルル・ド・ゴール」
東南アジア最大 タイ空母「チャクリ・ナルエベト」(世界最強王室ヨットでもある)
東アジア最大 輸送艦「毒島」(自称空母→揚陸艦→輸送艦と格落ち中)
史上最強 大和ホテルと武蔵旅館 >>269
昔だから今のレーダーに比べ長波長の電波を使ってたんじゃね それよりも海軍のアイドル給糧艦“間宮”のケーキですよ。 なんでラムネって、必ず吹き出すような瓶なんだろ?
かといって、サンガリアとかで出してる缶ラムネは「コレジャナイ」感が凄いがw >>286
新しいヤマトの第三艦橋はかなり頑丈だぞ これ最近飲んだんじゃけど、当時の方が甘かった
炭酸の程度と色味はかなり近いかな
当時は支給されると嬉しくて、一口二口飲んで
瓶を逆さにして、残りを後で飲んだ
一口目が堪らなく美味くてのう
今でも忘れられない美味な飲料じゃった >>285
ラムネが世に出た頃はコルクのほうが高価だったので
ガラス玉で栓をしてコストカットする目的があったのであの形状になった
瓶の中がラムネで満たされた瞬間に瓶をひっくり返すとビー玉がそのまま蓋になる
今ググったらこういうことらしい ( ゚∀゚)
( ∩ミ 艦長席(真上)と第三艦橋(真下) 脆いものよのう
| ω |
し ⌒J >>291
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ビンの口がプラならいらない
口がガラスで、キンキンに冷えてたなら、高くても飲みたい >>289
王冠が出てきたときどうしてビー玉方式が生き残ったんだろ 考えたなあw
ブランド化するかどか未知数だが。
そんなにラムネって売れるもんじゃないし。 >>295
王冠は一度開けたら変形しちゃうのでもう使えないけどラムネ玉方式なら洗って何度でも使えるからね、理由は多分それだけ ラムネなの? 私はサイダーだと思っていたわ
でもラムネとサイダーって同じもの? タキオン粒子って、炭酸の泡のイメージだったのか!
波動砲は圧縮ラムネ砲! >>298
ラムネ→レモネードが元ネタでレモン風味の味付け
サイダー→シードルが元ネタでリンゴ風味の味付け
今はラムネ瓶に入っているのがラムネ、それ以外の容器に入っているのがサイダー程度の区分らしい ラムネの瓶って
なんであんな形になったのかな
もしかして
ご婦人うけをねらったのか? >>270
当時のアイオワとニュージャージーの戦闘詳報を調べてみると、サンベルナルジノ海峡においては、
野分をレーダーで捉え、観測してはいたが、発砲はしていなかった事が判明したよ。
野分を撃ったのは巡洋艦戦隊だけだったとの事。 >>20
戦艦アイオワはアイスクリーム作ってたんだぞ
今は取っ払ってトマホークになってるけどな 大航海時代は、船上での食事がビスケットや塩漬け肉メインで、そのため栄養が偏り、脚気や壊血病などの
病気になって命を落とす事も珍しくなかった。
ビタミンなどの栄養の知識などまだ無かったので、色々解決策が試行錯誤され、イギリス海軍では
ライムジュースが有効と考えられ、標準装備になった。
アメリカ海軍でもレモネードが採用され、ぺリーの黒船にも搭載され幕府の人間にも振舞ったという。
これらの海軍の習慣を取り入れたのが日本海軍のラムネの始まり >>1
艦船にラムネ工房あるのは知ってたけどどんな味なんだろうね
これ飲んでみたいね
Q)この頃の帝国海軍戦艦の命中率ってどの位?
A)条件が良ければかなり当たります
−−−
●『戦艦比叡』(光人社NF文庫/吉田俊雄元比叡士官)
・30ノットだせる高速戦艦として機動部隊に随伴して多くの作戦に参加。
金剛型戦艦2番艦。
・昭和16年11月10日実弾射撃訓練を実施
■昼間距離25km
■56発発射して命中弾9発(命中率16%)
■発射時間は命令開始から30秒で初弾発射、
発射終了まで5分30秒。発射から着弾まで54秒
■英巡洋戦艦3隻撃沈したジャックランド海戦での独逸戦艦の場合は、
距離15kmで命中率はこの半分 >>308
ラムネはレモネードが語源てチコちゃんが言ってた >>308
サントリー公式によるとビー玉入りの瓶に入ってるのがラムネ、それ以外はサイダーだそうな。 >>94
むしろ話が通じる令和生まれの奴がいたら、教えて欲しい >>263
江田島ご用達だったの?帝国海軍と言えばウイスキーでは? >>308
ラムネ→レモネード→レモン。
サイダー→シードル→リンゴ。 >>312
コスモクリーナーは始動すると周囲の酸素が無くなるという
恐ろしい装置でした。 >>321
放射能と一緒に酸素まで除去
つまりガミラスを皆殺しにするための兵器だったんだよっ! >>322
総統はガミラス民族の首根っこを掴まれながら
スターシア様とのSMプレイを楽しんでおられたのだ
ガハハハハハ >>324
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 酸素が少なく、炭酸ガスが多い
健康的な環境を取り戻しましょう。
植物性&嫌気性細菌一同 >>306
海軍カレーも似たようなルートで広まったね
大航海時代の帆船には冷蔵庫なんて無いので牛乳の保存が出来なくてシチューが作れない
↓
インド帰りの商船の乗員が「インドで積んだスパイスとやらを代わりに入れてみるか」と試しに作ってみる
↓
大変美味だったので商船や海軍の食事に採用され、船員を通じてイギリスの民間にも広まる
↓
明治維新で海外の文化や食事が入ってくる&イギリス海軍をお手本に創設された帝国海軍にも採用され民間に広まる ラムネって炭酸水に砂糖が入ってるだけ?なんか独特な香りがあるよね >>332
カレーについては日本では民間が先かもしれないと言われているね
明治5年の料理本に掲載されていたらしい
海軍でカレーが出た記録で一番古いのが明治41年の海軍調理学校のレシピ本
カレー粉が国産されるようになったのが大正12年のエスビーだったか
簡単にできる家庭料理として広まるのはそこからかな >>335
・明治維新の時に日本に来たイギリス人商人から広まった説(最初期のカレーのレシピにカエル肉が入っているのはイギリス人の召使いだった中国人がアレンジした?)
・陸海軍を通じて広まった説
・人参、玉ねぎ、ジャガ芋の大規模栽培を推し進めていた札幌農学校が広めた説
自分が知ってるのだとこの3つがあるね 大和ホテルでつくられてたカレーの味は再現できないのか? 大和に乗って吹き飛んだり溺死した人のこと考えたら全く飲む気にならないわ 「大和で作られているラムネの原料って何なんですか?」
「知らない方が幸せだと思うよ」 「大和で作られているカレーの原料って何なんですか?」
「知らない方が幸せだと思うよ、特殊な性癖の人以外は」 瓶だった頃はたまに買って飲んでいたけど
プラになってから買うの辞めたな
あれ考えた奴は馬鹿だろ 秋葉原の書泉ブックマート5階にたぶん置いてあるな
買いに行こうかな
本屋なのにカレーも置いてあるし >>321
コスモクリーナー・・・オウムが作ってた空気清浄機
コスモクリーナーD・・ヤマトが取りにいった奴 >>334
簡単なレシピだからこそ、外国から禁輸されまくって物資の少ない戦時中の日本でも大量生産出来たと言える。 大和には冷房もあったらしい。
海軍だけだったら、日本は
もっと違う戦争だったはず。
ひょっとしてこのスレって延々と一人芝居が続いている?
文体が全く同じ┐(´д`)┌ヤレヤレ >>345
冷房と言っても弾薬庫や火薬庫を冷やすための物で乗員用ではないよ
だが艦内にダクトを引いて冷気をおすそ分けしていたので他の艦よりは全然マシだったと言われている
あと大和型は長門型に比べて冷蔵庫、冷凍庫の容量が1.5倍程度になったので
食事の時は他の艦より小鉢が一品多い時もあったという証言も残っている
上に大和ホテル、武蔵旅館の話が出ているが他にも
「大和海軍大学(戦場に行かないで乗員たちが砲術や対空戦の座学ばかりやっている)」とか
「武蔵体操学校(戦場に行かないで甲板で体操ばかりやっている)」などの渾名も存在する
(武蔵の最後の艦長だった猪口艦長は仏教を信仰していて、よく士官連中を集めては説法をしていたという逸話も残っている) >>317
加減速の制御が現代のものほどスムーズでなかったので、何往復か連続で乗ると気分が悪くなったそうな 大和は3千人も搭乗してたから、エアコン完備で食堂もそこらのレストランより豪華だった
まぁ下っ端はハンモックで雑魚寝だけど >>349
大和型戦艦は当初は下っ端も3段ベッドだぞ。後の対空機銃増設でハンモックになった人もいたけど。 ここで偉そうなこと書きこんでいるのも実は艦これ以来のヤツなんやろw >>12
今のビール瓶と同じで再利用前提なのだが? >>62
ミッドウエイでは爆発で破口だらけになってたので消火効果は
なかった。 >>154
46cm砲九門搭載し最低限の防御と重量軽減のために中速で
我慢して極力コンパクトに纏めたのだが?
巨大化は目的ではなく手段なのだから。 >>188
試算によると一号艦を30ノットにすると排水量は10万トン超となり
建造ドックも修理ドックもないので無理となった。 >>345
他の戦艦も弾薬庫冷却装置の余力を利用した冷房装置
を艦長室と医務室に備えていた。
潜水艦も居住環境改善のために冷房を備えていた。 >>357
ミッドウェーの戦訓で開発、配備されたのが泡状消火剤(要は石鹸水)なんだっけか >>362
ミッドウェーで空母の魚雷、爆弾が誘爆して大火災→普通の水じゃ消し止められなかったから泡状消火剤を開発
の流れじゃなかったっけ?
翔鶴の戦訓は「航空用の魚雷と爆弾はちゃんと格納しておけば誘爆しない」「航空機を飛ばして格納庫が空っぽの状態の空母は意外と沈まない」だった記憶 プラモデルの翔鶴と瑞鶴は同じもので飛行甲板にシかスの違いだった 調べたところでは、珊瑚海での翔鶴は戦訓で消火装置として煙突の冷煙装置の放水路を消火用に使えるようにし、格納庫の天井に自動炭酸ガス消火装置を取り付け
(ただ、炭酸ガス消火装置は少なくとも加賀は積んでたような?でないとミッドウェーに間に合わないと思う)
しかしミッドウェーで炭酸ガス放出では能力不足を露呈した(加賀)うえ窒息性という欠点もあり、急ぎ研究して泡沫式消火装置を採用した
って流れみたい 地元の横須賀じゃ既に間宮の羊羹とか商品化されてたような >>366
なるほどね
そういえば南太平洋海戦で翔鶴に乗艦した従軍記者の人の戦記で
「格納庫に炭酸ガス消火装置とやらが付いたけど、火事になったら儂ら整備兵は窒息死じゃ」と自虐的に言われたって記述があった記憶 >>1
悉くアイスクリーム製造機が有ったアメリカ様の大型艦
倭級にラムネつけるのがやっとのジャップ
こりゃ負けるよな
ジャアアアアアアアアアアアアアアアップwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww wwwwwwwww wwwww wwwww wwww wwww wwww wwww wwwww wwww wwwww wwww wwww wwwww wwwww wwww wwww wwwww >>363
まあ魚雷一本で沈んだ空母が二つもあるんですよねニポンは >>363
相次ぐ爆発で発電機が故障したので消防ポンプは使用不能。
爆発による破口で炭酸ガス消火装置も無効だった。 >>370
大鳳だけじゃねぇのか?
まぁ戦争末期の米軍の超大威力魚雷はそれまでのとはまったくの別物だから
批判はバカすぎて的外れだな
弱威力魚雷×1で沈んだ英空母アークロイヤルとかもあるわけで 大鷹、雲鷹、隼鷹は米潜水艦の高威力魚雷を
2〜3本食らったが生還してるね
レキシントンとワスプは2〜3本で沈没 ぶっちゃけ、魚雷一本で沈んだとか魚雷何本も受けても沈まなかったとかは運もあるし、運用者の判断ミスもあったりするからな。それで防御力を語っても不毛だよ。防御力皆無なお陰で逆に戦艦大和の46cm主砲弾が突き抜けて沈まずに済んだ米護衛空母もあるんだし。 フリッツXを二発喰らって沈没した戦艦ローマ、同じく二発
喰らって沈まなかった軽巡サヴァンナとかな。 ヒロヒトマンセーファナテイックスーサイドバカボムの直撃に耐えた駆逐艦ラフィー
鉄砲でやられた島風 >>378
信濃は海軍のお偉いさんが空襲にビビって回航を急かせたせいで
艦内の地理に慣熟していない乗員だらけのまま航海に出たら魚雷命中だから運が悪いわ 日本帝国は国民から絞った税金を有らん限りこの戦艦建造に注ぎ込んだので、日本の軍需産業体は莫大な富を蓄積したなw エアコンなんてあったのが驚きだ
薪でごはん炊いてたような時代だろ? >>382
F13が撮影した横須賀軍港の写真には信濃の姿がハッキリ
と写っていたのに米軍はすぐには気が付かなかったらしい。
護衛の駆逐艦はレイテから帰還したばかりで対潜機器の
調子も狂っていたのに加えて司令駆逐艦を欠いた状態。
なので17駆としては夜間回航には反対だったが容れられず
出港。 戦争に限らず、チームスポーツもそうだけど、個々のスペックは確かに戦況に大きく寄与するけど、それで全てが決するわけではないということなんだよね。監督なり司令官なり政治次第でいくらでも状況が変わる。確実なのは国力と言うか物量なんだろうな。 >>384
当時の軍艦は蒸気機関が大半だったので、機関室から引っ張ってきた蒸気熱で調理していたよ。だから調理室で火は使わない。 蒸気熱がボイラーで250度。
厨房で何度かわからんが
炒めものもできたそうで。 ただ大きい戦艦と言うだけで何の役にも立たない木偶の棒。
仲間の船を見捨てて逃げ回り、最後は無残にもあっさり撃沈された縁起の悪い船。 >>391
大和型は味方の士気を高めるのにおおいに役立ったのは単なる事実
油槽船や輸送船、司令部機能として何度も給油や輸送、指揮に活躍している。
レイテ戦のとき大和はB24を三式弾で3機以上撃墜、10数機撃破という戦果を挙げた
(米軍側記録)
空母ホワイトプレーンズ撃破と駆逐艦ジョンストン撃沈にも貢献している。46センチ砲で
空母カリニンベイの甲板を直撃させた説もあり。
さらに米艦上機を合計で100機以上は撃墜破してる。
アイオワがそれ以上に活躍したとは言い難い
台風でスクリュー軸が曲がるような脆弱な戦艦だから仕方ないが >>391
元々がアメリカ様がジャップに都合良く動くというあららえない事を前提としている産廃ですから >>395
ジープなんぞと称される護衛空母や駆逐艦沈めただけじゃあねえ
あの巨大鉄屑にかかった費用に見合うんですかねぇ >>396
>あららえない事
お前の知能の方が「あらら」って感じw >>398
揚げ足とりしかできないとは
おお、あわれあわれ
で、倭とかいう巨大鉄屑については何かないのかね? 海軍は日英同盟のつながりでウイスキーが大好き。
そのためニッカは軍の指定工場となり
物資を優先してもらえた >>400
いや送信する前に確認とかしないのお前? >>401
そして連合国は勝ってから占領するときにウィスキーを現地調達するために、ニッカの工場の位置を把握して攻撃目標から除外した >>401
軍艦が飲酒可なのは大航海時代に飲料水として酒類を積んでいった伝統か >>397
そんなこと言うなら
米戦艦含めて全世界のほぼ全ての戦艦は費用に見あってないぞw >>395
近代的戦艦は全世界で約180隻建造されたが
大和はかなり活躍した部類に入る 戦艦大和に毛が生えて
大砲一つに玉二つ
自慢じゃないけど伸び縮み
たまには黄色いお茶も出る こんなこと言ったらアホウヨの皆さんに怒られるかもしれないけどさ。
戦争始まったらすぐに輸送船足りなくなるのわかってて戦争始めた日本ってやっぱり馬鹿だと思う。 >>12
気持ち悪いチョンだな
日本に居座って日本ヘイトをしながら死んでいくのか? >>400
大和の評価をしないのはシナチョンぐらいだぞ
お前シナチョンか? 大東亜戦争まで日本に守られて安泰に生き延びたチョンの子孫は存在している事を日本に感謝しろとは言わんが
訳のわからん逆恨みみたいなコンプレックスを抱えたまま日本に居るより半島に帰った方がいいぞ ゴミみたいなチョンを近代化させるのに使った費用は大和三隻分
もう三隻あれば運用もできただろ
チョンなんて絶滅して剥製として惜しまれて残るぐらいが幸せだっただろ 大和はロマンがあっていいよな。
wowsで愛用してるけど、大和型の46センチ砲は32ミリ装甲を角度関係なく強制貫通できる設定になってて、相手が縦向きでも徹甲弾でブチ抜けて気持ちいい。 >>409
他の選択肢があるならキミのご賢察を
お伺いしたいものだな
もちろん当時得られた情報と価値観の
範囲内で実現可能なものを頼む 戦犯旗はダメでしょ。どさくさ紛れにこういうことするから大韓人は怒るんだぞ チョンは前線では使い物にならないから、
内地で内職やらされてただけだからなw
前線に送ると敵前逃亡するし >>417
ジャップの伝統芸『アメリカ様の靴舐め』 >>421
過去に靴舐めしかしたことがないチョソの言い草だなw 戦闘機で出撃する時にラムネを持っていって、上空で飲もうとしたら、
気圧が低いのと振動とで開けたとたんにブシャーっと飛び散ってコックビットがぐちゃぐちゃになった・・・っと、どこぞで読んだw 坂井三郎の話かな。
ベタベタになったそうだから
炭酸水だけじゃなくて
一応は砂糖が入ってたんやな。 >>420
後方に配置したらしたで略奪に虐殺しまくりなのだが 石平氏 朝鮮の王というのは中国皇帝に三跪九叩頭してきた
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7e/Yamen-sitzung.jpg
日本の天皇はそんな恥ずかしいことをしたことは一度もない。
朝鮮の情けない王とは違うのである。 >>279
チハだって道が最悪な中国大陸や南方で使うなら優れた戦車だしなw
俯角が15度ほど取れる
横幅が狭い
一度の給油で進める距離が長い >>423
上にも出てるけど坂井三郎の「大空のサムライ」に同じ描写があるね
瓶入りサイダーを持って行って飛行中に飲もうとして栓を開けたら気圧の影響でサイダーが噴き出し
計器盤や風防の内側が乾いたサイダーの砂糖で白くなってエライことになった
それからは地上で栓を抜いてから持っていくようにしたという アメリカ人はアイスクリーム大好きで空母みたいな大型艦には
製造機があったけど、駆逐艦みたい小型艦には無かった
で、駆逐艦とかが着水した空母搭乗飛行士を救助したら
パイロットの体重と同じ重さのアイスクリームと交換するのが決まりだったそうな アメリカは軍隊にすべて砂糖を持っていかれて
他国同様、国内はまったくの砂糖不足に陥った
徴兵された青年が軍の朝食で「一年ぶりにゼリーを見て感動した」
という話を書いている 子供に与える菓子も不足したので砂糖を使わずに済む
ポテトチップスが誕生。 >>432
残念ながら、諸説あるとは言えポテトチップス自体は19世紀から存在していたそうだ。 >>432
あるレストランに来たワガママな常連さんが「ジャガ芋を薄くスライスしたやつを揚げたら美味いと思うんだ。だから作って」とシェフに注文し
それで出来たのがポテトチップスだって某ポテチの袋の裏面に書いてあったわ 大和かぁ・・・・・・
確かに立派な船だったが
期待先行、典型的な看板倒れだったわな >>11
俺の通っていた小学校は全校生徒が1500人超だったから、
その頃から自分が属する組織のメンバーを殆ど把握できないことは普通だと思ってたな
つうか昭和の時代までは何をするにも大人数で同じ部屋の連中以外は
誰かいるのかわからないなんて俺じゃなくても普通のことだったんじゃないかなって気もする きみらがいればアメリカだろうがなんだろうが圧勝だっただろうに >>427
これ、厳密に言うと違う。相手は中華皇帝の外交官。
しかも悲惨な事に元朝鮮人。
献上品がろくに無い朝鮮では優秀な男と美女を献上してたんだけど、
優秀な男は朝鮮相手の外交官になることが多いため、とされてる。
歴史的に呪われてるよ、あの国。 戦時中の軍艦は使いこなしに職人芸が必要なイメージがあるけど、アメリカはよく技術を伝承してたな
主砲の照準も今と違って難しいんじゃね 昔にフジテレビでアイオワ級の乗艦レポートをやってたんだけど、主砲管制室はアナログコンピュータがあって、主砲弾の装填は機械だけど発射薬は手で押し込んでたわ 大和にはエレベーターもあったけど士官専用。
海軍は兵卒と士官とで食堂も異なる、すごい差別がある縦社会。
自衛隊も兵士で入るのは止めた方が良い。 >>164
ミッドウエーで空母4隻を喪失しながら自決しなかった南雲は、
結局サイパンの陸上部隊に異動させられ戦死している。 >>117
俺の死んだじい様もそんな感じだった、終戦頃にフィリピンで捕虜、帰ってきたらアル中。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています